暑くなったり寒くなったり、晴れてたのに急に雨が降ったり、天気の切り替えが大変ですね。
ただTシャツ1枚で外に出れるようになってきたので嬉しいです。
今回も前回に引き続き職人さんへインタビューをしてきました。
M.I Repair&Cleaningは、補修業界のパイオニアとして「傷がついたから、壊れたから、捨てる」ということから脱却し「できる限り壊さず、捨てずに、リペア(補修)する」ことを考え、『トータルリペア』を行って来ました。
様々な現場で、いわゆる『なんでも直し屋さん』をやってきたM.I。
そんなM.Iに欠かせない職人さんたちをじっくりご紹介していきたいと思います。
Vol.2は専務の町田美奈さん。
社長と2人で会社を支えてきた重要人物です。
—ピンク・レディーになりたかった—
現在会社がある横浜市で生まれ育った美奈さん。
小さい頃はピンク・レディーが大好きでピンクレディーになるために友達とダンスの練習していたとか。
可愛くてキュンキュンしちゃいますね。
また、幼稚園から書道を習っていたり、手芸が好きだったそう。
「補修はこの会社ができてから初めてやったけど、小さい頃から手を動かしたり細かい作業が好きだった。」
手元の作業がどうしても多くなる補修の仕事。
長く続けられるのはやっぱり自分の好きと重なる部分があるからでしょうか。
—結婚、出産、職人デビュ—
高校卒業後バイトに明け暮れる日々。
フードコートキッチン、喫茶店、スーパーレジ打ちなどいろんな仕事をしてました。
その中で町田克史社長と出会います。
そして結婚、長男出産。
当時は都内に住んでいて地元横浜を離れていましたが、出産を機に横浜に戻ってきます。
「仕事の都合で引越しもいっぱいしたけど、子供が生まれて幼稚園入って小学校上がる時にもう引越しさせたくないって思ったんだよね。こっちは緑も多いし良いかなって。」
横浜に戻ってからしばらくして社長の独立。
そのタイミングで美奈さんは職人デビューを果たします。
—仕事と子育て—
「まだ私達が始めた時は補修屋が認められていなくて、大工さんが片手間にやってた仕事だった。何年かしてやっと補修の仕事が認められ始めて、現場でありがたがれるようになった。」
補修経験がなく社長の独立をきっかけに職人になった美奈さん。
社長から技術を教わりながら現場に出ていました。
車の免許を持っていなかったため、補修道具の入った大きなバックを引きずりながら電車移動したこともあったそう。
「当時は建築バブルで補修屋も少なかったし何時までも作業して良いよってスタイルだった。22時に1つ目の現場が終わって、2つ目の現場に移動して0時から3時まで作業したりしてた。帰ってきて仮眠して早朝からまた次の現場。店舗の補修の時はお店でそのまま仮眠してたね。原宿にあるショップの試着室で仮眠したこともあった笑」
試着室。意外と寝れるんですね。
現場に出始めた時にはもう次男も生まれていて、2人の子供を育てながら仕事に忙しい日々。
現場から帰宅してお弁当作って、子供たちが起きてくる前に仕事に出ていたから毎日大変だったそう。
寝る暇はありません。
「若かったから子育ても仕事もってできた。あとがむしゃらだったから。会社を守るとか、会社を作って行くとか、職人もだんだん増えていったし。そこに一生懸命だったからできたのかも。」
補修は好きで現場から離れた今も体力があれば現場に出たいと言うほど。
仕事が好きって言えるのいいですね。かっこいい。
—今後の抱負—
「いつもワイワイ楽しく、一生笑って過ごしたい」
自分の楽しいに人を巻き込んで、いつも美奈さんの周りはワイワイしているイメージ。正真正銘のParty Peopleです。
人を引き寄せる何かがあるのかもしれません。
最後に、大切にしていることを聞いたところ
「何でも楽しくやること」
と返ってきました。
未経験で始めた補修の仕事。
家族と会社のために毎日がむしゃらに働いて、大変だったはずだけど、楽しんでいたから乗り越えられて、だから今も補修の仕事が好きって言い切れるのかもしれません。
生活してると楽しく事だけじゃなくてやりたくない事とか嫌になることとかどうしてもでてくる。
それすらも楽しむってなかなか難しいけど、それができると後々思い返した時にいい人生だっなって思えるのかも。
なんだかすごい大切なこと聞けた気がしました。